協会設立当初は、四国・淡路島・家島諸島等と本土間の貨客航路、神戸港等の港に入港する外航船と陸地間の通船航路、鳴門観潮等の観光航路を行う事業者が中心であった。
その後、自動車をそのまま載せることができる自動車航送船(フェリー)が登場することとなるが、このうち昭和29年4月に開設された明石~岩屋間、福良~鳴門間の2航路が日本初の本格的なフェリー航路とされている(福良~鳴門は昭和60年まで運航、明石~岩屋は平成22年まで運航していた。)。
また、昭和40年代の日本経済の高度成長に伴うモータリゼーションの著しい進展は、フェリー航路の発展を促し、旅客航路事業の性格を大きく変えた。
昭和43年には小倉~神戸間、翌44年には大分~神戸間でフェリー航路が開設されたが、これらの航路は日本におけるいわゆる長距離フェリー(航路距離300km以上)の先駆けとされている。その後、道路混雑の慢性化や運転者労働力の不足などと相まって全国的な長距離フェリー網が出来上がっていった。
一方、昭和40年代においては、国の経済計画に対応した港湾整備5カ年計画が数次にわたり行われ、港湾の整備が格段に進展した。そのため、外航船等が接岸すべき岸壁に空きがなく港に入港できず港外で沖待ちするといった状態が激減し、沖待ちする外航船と港を結ぶ通船事業の需要は減少していった。
本州四国連絡橋神戸・鳴門ルートの架橋工事は昭和51年7月大鳴門橋の起工式が行われスタートした。
①平成7年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震は道路、鉄道、港湾施設にも甚大な被害をもたらし、過去にない大震災となった。神戸・阪神間の主要幹線交通である鉄道は多くの線区で分断され、さらに、主要道路は各地で寸断、陸上交通も困難を極めた。そのため旅客船による海上代替え輸送が行われ大いに活躍した。
たは損傷を受け利用できなかった埠頭に発着していたフェリーは、その航路の起終点を大阪港に変更したのが8航路あった。岸壁等港湾施設の損壊が軽微で旅客船・フェリー等の発着に支障がなかった既存航路は利用者からの要請を受け増便を行ったのが6航路。また、運輸省(現:国土交通省)、一般利用者、神戸市等自治体からの要請により、損傷が軽微で利用が可能であったメリケン波止場東側岸壁等を利用し、新規に開設した臨時航路が神戸~大阪航路など11航路となっている。
1日、阪急電鉄神戸線全線開通6月12日、阪神電鉄本船全線開通6月26日)
このように、マヒ状態に陥った陸上交通に対し、その代替えとしての海上交通は大いに活躍し、のち運輸大臣等から感謝状が授与された。(公益財団法人関西交通経済研究センター平成7年10月発行「震災等発生時の旅客交通に関する調査研究報告書」から抜粋)